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大阪高等裁判所 昭和51年(行コ)31号 判決

控訴人

鐘完

鐘哲

右両名訴訟代理人

原田豊

右復代理人

小野正章

被控訴人

法務大臣

瀬戸山三男

右指定代理人

服部勝彦

外一名

被控訴人

神戸入国管理事務所主任審査官

川上巖

右指定代理人

服部勝彦

外三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人鐘完は昭和二七年一一月二二日、同鐘哲は同三〇年八月一日にいずれも大阪市で出生した韓国国籍を有するものであるが、控訴人両名は、同四三年一〇月一五日父興基らと韓国に帰国したが、同四七年一二月一五日有効な旅券又は乗員手帳を所持することなく、貨物船マリーナ号により日本に入つたこと、神戸入国管理事務所入国審査官は同四八年一月一二日控訴人両名の密入国行為について出入国管理令二四条一号に該当すると認定し、控訴人両名は同日口頭審理を請求したが、同事務所特別審理官は同月二四日右認定に誤りがないと判定したこと、控訴人両名は右判定に対し同日法務大臣に対し異議の申出をしたが、法務大臣は同年三月二〇日右異議の申出は理由がない旨の裁決をし、前記事務所主任審査官(以下主任審査官という。)にその旨通知し、主任審査官は同年四月二三日控訴人両名に対し送還先を韓国とする本件退去強制令書を発付したことは当事者間に争いがない。

右の事実によると、控訴人両名は、「有効な旅券又は乗員手帳を所持しなければ本邦に入つてはならない。」と定める出入国管理令三条の規定に違反して本邦に入つたものというべく、同令二四条一号に該当することは明らかであり、この点についての前記神戸管理事務所入国審査官の認定、特別審理官の判定及び法務大臣の裁決はいずれも正当である。

二控訴人らは、法務大臣の本件裁決及び主任審査官の退去強制令書発付の各処分は国際法及び憲法九八条二項に違反すると主張するが、控訴人らが主張するような内容の国際法規(国際慣習法)が存在するとは認められず、右主張は採用しえない。

三法務大臣は、出入国管理令四九条一項の規定による容疑者の異議の申出があつたときは、それが理由があるかどうか裁決し、その結果を主任審査官に通知しなければならない(同令同条三項)。法務大臣から容疑者の異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けた主任審査官は、法律上当然に、当該容疑者に対し同令五一条の規定による退去強制令書を発付することを義務づけられている(同令四九条五項)から、法務大臣の裁決に瑕疵がありこれが違法であるときは、これに続く主任審査官の退去強制令書発付処分は裁決の違法を承継し、違法性を帯びると解すべきである。

そうして、法務大臣は同令四九条三項の裁決に当つて容疑者の異議の申出が理由がないと認める場合でも、特別に在留を許可すべき事情があると認めるときなど一定の事由があるときは、在留を許可することができ(同令五〇条一項)、この許可は同令四九条三項の適用については異議の申出が理由がある旨の裁決とみなされる(同令五〇条三項)。これらの出入国管理令の規定と同施行規則三五条の規定とにかんがみると、同令四九条五項にいう「異議の申出が理由がないとの裁決」においては、①容疑者の異議の申出に対応して特別審理官の判定を審査し、その結果これを是認する判断と、②不服審査とは別個に職権をもつて容疑者の在留を特別に許可すべきかどうか検討し、裁量の結果これを許可しない判断とがなされ、申立事項と職権事項とについての二つの判断が不可分的に一体となつて一個の裁決が成立するものと解すべく、後者の判断に違法の瑕疵があるときは、右裁決全体が違法となるといわざるをえない。したがつて容疑者は、その申立事項に属しないところの、法務大臣の職権事項についての違法を理由として裁決の取消を訴求し得べき法的利益ないし資格を有するものと解すべきである。

ところで、国際慣習法上国家は、特別の条約を締結していない限り、自国内に外国人を受け入れるかどうかを自由に決定することができるというべきであるが、このことと出入国管理令一条、二四条、四九条、五〇条の各規定によると、法務大臣は同令五〇条一項の容疑者の在留を特別に許可するかどうかをその自由な裁量によつて決定することができるというべきである。そして、その裁量の範囲は広汎であつて、法務大臣は容疑者の同令違反の態様、容疑者の経歴、家族関係などの容疑者に関する事情のほか、国内外の政治、経済事情、外交関係などをしんしやくし、特別在留の許可、不許可を決定し得るものである。たとえ、この裁量権の行使が今日までの行政事例上おのずから形成された判断基準に反するとしても、それが違法判断の法律上の基準でない以上、当不当の問題が生ずるにすぎず、当然適違法の問題が生ずるものではない。この点に関する控訴人らの当審における前記3(二)の主張は採用しない。

控訴人らが主張する国際人権規約などは未だ国際慣習法として確立されるに至つていないこと既に判示したところであり、またこれらが国際法上の法源たる条理となるに至つているとも認められず、法務大臣が出入国管理令五〇条一項による特別在留許可処分をするについての裁量権の行使において右規約などに反する点があつたとしても、それだけで違法があるとまではいえない。

日本国と韓国とが歴史的に特別な関係にあつたものであり、また昭和二七年にポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(一二六号)が制定され、昭和四〇年には日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定(条約二八号)が結ばれ、右協定の実施に伴う出入国管理特別法(昭和四〇年法律一四六号)が制定され、韓国国民について特別な法的地位が認められているが、これら法律、条約に基づくほか、本邦への出入国に関し韓国国民とその余の外国人との間に差等をもうけるべきとする国際慣習法は存在せず、出入国管理令の規定の解釈上もこれを是認し得べき合理的な理由はない。この点に関する控訴人らの当審における主張3(三)も採用しない。

しかし、法務大臣の特別在留許可をするかどうかの裁量は、前述の法務大臣のしんしやくすべき諸般の事情にかんがみ、その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明白である場合に限り、その裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法となるというべきである。

四次に、控訴人らは、法務大臣は出入国管理令五〇条一項の特別在留許可をするかどうかを決定するに当つて当然に存在するべき裁量権の行使基準を控訴人らに明示せず、これについて主張、立証する機会を与えなかつたことは憲法三一条に反すると主張する。

しかし、法務大臣が同令五〇条一項によつて特別在留許可をするかどうかは、前述の諸般の事情をしんしやくし、その自由な裁量によつて決定すべきものであり、同令四九条一項による異議申出者に許可申請権は認められておらず、法務大臣が職権をもつてする特別在留許可の手続に特に聴聞の機会を与える余地はないというべきである。控訴人らの右主張は採用できない(控訴人ら主張のような特段の裁量基準が定められていることを認め得る証拠はない)。

五そこで、法務大臣が控訴人両名に対し本件裁決をする際、出入国管理令五〇条一項の特別在留許可をしないと判断したことに裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたかについて検討する。

〈証拠〉によると次の事実が認められる。

1  控訴人鐘完は昭和二七年一一月二二日、同鐘哲は同三〇年八月一日、鐘和は同三三年四月一九日いずれも大阪市で、父興基、母李丹衡の非嫡出子として出生した。興基は韓国慶尚南道密陽郡府北面春化里一九四番地に本籍を有し、昭和二五年七月二九日韓国において李殷鎔と婚姻し、その間に鐘吉(同一五年三月三一日生)、祥赫(同一七年五月一一日生)、聖権(同二〇年二月一一日生)をもうけた。興基はその後来日し、同二六年頃李丹衡(同七年二月一五日生)と内縁関係を結び、その間に控訴人らをもうけた。興基は同四一年九月一二日鐘完、鐘哲、鐘和をいずれも李殷鎔との間の嫡出子として戸籍の届出をした。

2  控訴人両名、興基、李丹衡ら家族は、昭和二七年頃から大阪市、岡山市、京都市などで居住し、同四三年に高松市内に移転した。控訴人鐘完は同年四月に中学校を卒業し、経理専門学校へ入学し、同鐘哲は同市内の中学校に通学していた。

興基は同年八月頃李丹衡に控訴人ら子供三名を連れて韓国へ帰国することを話したが、反対され、かねてから不和であつた両名の関係がますます険悪となり、李丹衡はその頃家を出て別居した。興基はその後李丹衡に連絡することなく、同年一〇月一五日控訴人ら三名の子供と韓国へ帰国した。

控訴人らは、昭和二七年法律一二六号二条六項に該当する者の子であつて、同施行の日以降日本で出生した者で、同二七年外務省令一四号により在留資格を有していた(この点は当事者間に争いがない。)が、右帰国の際出入国管理令二六条の再入国許可を受けなかつた。

3  控訴人らは、帰国後興基とソウル特別市内の李殷鎔のもとで前記鐘吉らと同居したが、李らとの関係に円満を欠き、やがて同女らと別居した。

控訴人鐘完は昭和四四年頃からは日本語の家庭教師や日本人観光客の案内などをして或る程度の収入を得るようになり、同鐘哲は同年九月同市内の中学校を卒業し、高等学校に入学した。ところが興基が同四五年一〇月二七日に死亡した後は控訴人らと李殷鎔らとの関係がさらに悪化し、鐘完が前記祥赫といさかいを起したことから、控訴人両名は同四七年四月頃から本籍地で父の兄弟の家に身を寄せることになつた。その頃には控訴人らは韓国語の会話には著しい不自由はなかつた。

4  そうする間控訴人両名は母のいる本邦で生活をしたいとの希望を抱くようになり、昭和四七年一〇月頃李丹衡が来韓して再会し、ますますその気持が強くなつたが、李殷鎔らの話では正式の手続をとつて来日することは極めて困難であつたので、同年一二月本邦に密入国を企てるに至つた。

控訴人両名は、今後本邦に居住し、母李丹衡及びその七名位の親族の援助を得て生活していくことを望んでいる。韓国には弟の鐘和が前記李殷鎔らの監護ないし援助の下で生活している。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右の事実によると、控訴人両名、鐘和、李丹衡が、控訴人らの主張するような難民あるいはこれに準ずべきものとか、いわゆる離散家族であると認められないのはもちろんであつて、控訴人らが母と別れて韓国へ帰国したのはもつぱら父と母との不和など家庭の事情によると認めるほかない。控訴人らは出生以来本邦に居住し、教育を受けてきたもので、帰国後の韓国での生活は従前に比べて困難なものであつたであろうことは推認しうるところであるが、控訴人らはすでに約四年間韓国で生活していたものであつて、自らの努力によつて、韓国で普通の生活を維持することができる状況にあつたというべきである。控訴人らは本邦で母と共に暮すことを願望しているが、弟鐘和は韓国で生活しており、その願望は特にしんしやくすべき事情にあたらない。

してみると、法務大臣が控訴人両名に対し特別在留許可を与えなかつたことについて裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものということはできない(他に、法務大臣が右裁量権の範囲をこえ又はその濫用をしたものと認め得べき事実を肯認するに足りる証拠は何もない)。

六以上の次第で、被控訴人らの本件裁決及び退去強制令書発付の各処分が取消し得べきものとはいえず、控訴人らの本訴請求はすべて理由がないというべく、これを棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、失当としてこれを棄却することとし、行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条、九五条を適用し、主文のとおり判決する。

(山内敏彦 高山晨 大出晃之)

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